岸の端(はな)はもう川だ。
草鞋を隠しにしまって足場を決めた。
朝ぼらけの富士がただちに水面(みなも)に展けている。
それから嵩は豊かになり、波が浦に寄せて返ると残さず濁った。
澪つくし(みおつくし)に鷺(さぎ)が飛びそうにいる。
漁り(すなどり)の豊穣なのを報せる瑞(しるし)だ。
翁はときめいた。
四尋半の網を投げる。
木綿糸はずっと重くなり、力が入ると襟首の汚れた皮に筋の繰り返しが縒って、口の端には塩が出た。
鷺が飛んだ。
嘴(くちばし)に鮎(あゆ)が大きい。
投網を繰り寄せる。どうして口惜しかった。
と、すぐ立って支度をはじめた坊の黒が勝った目を翁は打ち見た。
もういっぱいにたたえられていた。
<2ちゃんにて批評依頼中>
岸の端(はな)はもう川だ。
草鞋を懐手にして足場を決めた。
朝ぼらけの富士はただちに水面(みなも)に展けて(ひらけて)、嵩は豊かになり、波が浦に寄せて返ると残さず濁った。
澪つくし(みおつくし)に鷺(さぎ)が飛びそうにいる。
漁り(すなどり)の豊穣なのを報せる瑞(しるし)だ。翁は時めいた。
四尋半(よんひろはん)の網を投げる。
木綿糸はずっと重くなり、力が入ると襟首の汚れた皮に筋の繰り返しが縒って、口の端には海塩(しお)が出た。
鷺が飛んだ。
嘴(くちばし)に鮎(あゆ)が大きい。
投網を繰り寄せる。どうして口惜しかった。
と、すぐ立って支度をはじめた坊の黒が勝った目を翁は打ち見た。
もういっぱいにたたえられていた。
甲州石班沢 (こうしゅうかじかざわ)
浮世絵版画。冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)の一つ。藍一色の濃淡を基調にして描かれた藍摺絵(あいずりえ)の傑作。藍色は、江戸時代後期に西洋から輸入された顔料、ベロ藍(プルシャンブルー)によるもの。葛飾北斎は、それまで日本になかった鮮やかなこの藍色を取り入れ、一大旋風を巻き起こした。朝もやに霞む富士と突き出た岩の上に立ち、漁をする親子が描かれている。 ーエキサイトismより引用ー
岸の端(はな)はもう川だ。
草鞋を懐手にして足場を決めた。
朝ぼらけの富士はただちに水面(みなも)に展けて(ひらけて)、嵩は豊かになり、波が浦に寄せて返ると残さず濁った。
澪つくし(みおつくし)に鷺(さぎ)が飛びそうにいる。
漁り(すなどり)の豊穣なのを報せる瑞(しるし)だ。翁は時めいた。
四尋半(よんひろはん)の網を投げる。
木綿糸はずっと重くなり、力が入ると襟首の汚れた皮に筋の繰り返しが縒って、口の端には海塩(しお)が出た。
鷺が飛んだ。
嘴(くちばし)に鮎(あゆ)が大きい。
投網を繰り寄せる。どうして口惜しかった。
と、すぐ立って支度をはじめた坊の黒が勝った目を翁は打ち見た。
もういっぱいにたたえられていた。
甲州石班沢 (こうしゅうかじかざわ)
浮世絵版画。冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)の一つ。藍一色の濃淡を基調にして描かれた藍摺絵(あいずりえ)の傑作。藍色は、江戸時代後期に西洋から輸入された顔料、ベロ藍(プルシャンブルー)によるもの。葛飾北斎は、それまで日本になかった鮮やかなこの藍色を取り入れ、一大旋風を巻き起こした。朝もやに霞む富士と突き出た岩の上に立ち、漁をする親子が描かれている。 ーエキサイトismより引用ー
「散歩の記録とダニエル」を書くにあたって、下敷きとなったエピソードはもっと短くもっと縹渺としていた。
まず、妻(正確には“元”妻)と娘の散歩や外出時間をめぐって喧嘩になり、それから娘のOーちゃんと一緒に自宅からすぐ先のT公園に向かった。その短い道中にある自販機でコーヒーのホット缶を買って、公園でよよと飲みつつ娘を安全な距離で遊ばしていた。
ただし滑り台となると一人ではまだやや剣呑なので一緒になって遊ぶのだが、階段を上っているうちに消息のしれない変な事が浮かんだ、それが「滑る速度で首を括りたい」だ。
とはいえ、「思った」とか「考えた」といったものじゃなくて、本当に「浮かんだ」というのが中(あた)らずとも遠からずだと思う。
そもそも喧嘩の非は僕にあるわけで(僕にあるんです)、良心の呵責それからの発声と呼べるかもしれないが、たとえば自宅は2階にあるので毎日階段を上り下りしているにも関わらず、その日に限っては「13階段」(自宅の階段はもっと段がたくさんだし、滑り台は足りないと思う)とか「首を括りたい」などと浮かぶのはなにか自責の念というのに求められそうだけど、しかし「首を括りたい」のうちの《たい》は迫られた人間のそれではなくて、明らかに自由人のそれである。
ただし、うろ覚えからの記憶違いかもしれない。
とりあえず話を戻すと、滑り台で遊んだ後は寄り道もせずに帰宅した。だから弁財天も流山線も閑静な住宅街の生活道路も遅れて裏から継ぎ接ぎをしたのだが、動機は後に説明をするとしてこれは差し当たって「思索」の成果だろう。
その限り「浮かんだ」とか「それ」とか……という現象は「詩作」の結果だ。
「思索」と「詩作」。これは手前味噌な表現というのではなく、確かハイデカーのニーチェ論の一説で見た覚えがある。(あんまり哲学は好きじゃありませんが……もちろん『人間は先天的に哲学者であーる』といった理屈を抜きにすればですが)
で「思索」というのは、一般にまさに「哲学」と認知されたものの動的な表現なのであって、つまり思考しつつ行動するのである。かてて加えれば、或る対象を捉えた後に描写するという、なんとも当たり前な事なのだ。(その限りでは、やはり人間は先天的に哲学者なわけだ…うんざりするな、この感じ)
ところが、「詩作」を対峙させるとそんなに退屈な話題ではないと思えるようになった。
「詩作」というのは、詩人がそのように、動きながら考えるの静的な謂いなのだが、ところで「思考」というのは「行動」を顧視する「客観的」な立場であり(これは『思索』)、「詩作」にあっては「行動」が「思考」を誘導する「主観的」な立場と互いに掣肘(せいちゅう)し拮抗する。
そして作家が「思索」や「詩作」という、さかしまに見た際には成果や現象を、道具としてその仕事や手遊びに供する時、この限りでは、「思索」は決して対象を「客観的」に捉えて漉して描写する謂いではなくて、つまり作家は(この作家というのを「詩人」としないのは、「今は」ややこしいことになるからである)「物事を考えてから行動する」思索という現象を「対象を即物的(対象物・対象人物の気持ちや立場になって)に捉え描写をする」といった道具・技術に置き換え仕事に取り掛かるのだが、まずもって対象を捉える段階にあっては主観は客観に優位であり、描写をするという行動は主観即ち「詩作的」立場は「思考」に誘導されている。
またそうであれば、「思索」とは対象を「主観的」に捉えて「客観的」に描写をするということになるが、更に置き換えてみると、「思索」とは対象を「詩作的」な立場で捉えて「客観的」に描写をする。更には「思索」とは対象を「行動が思考を誘導する」といった風に描写をする、即ち思索とは「描写(行動)」が「対象の把捉(思考)」に先行するという性格を持った「詩作」そのもの……「詩人」にあってはそもそもが然もありなんである。
まず、妻(正確には“元”妻)と娘の散歩や外出時間をめぐって喧嘩になり、それから娘のOーちゃんと一緒に自宅からすぐ先のT公園に向かった。その短い道中にある自販機でコーヒーのホット缶を買って、公園でよよと飲みつつ娘を安全な距離で遊ばしていた。
ただし滑り台となると一人ではまだやや剣呑なので一緒になって遊ぶのだが、階段を上っているうちに消息のしれない変な事が浮かんだ、それが「滑る速度で首を括りたい」だ。
とはいえ、「思った」とか「考えた」といったものじゃなくて、本当に「浮かんだ」というのが中(あた)らずとも遠からずだと思う。
そもそも喧嘩の非は僕にあるわけで(僕にあるんです)、良心の呵責それからの発声と呼べるかもしれないが、たとえば自宅は2階にあるので毎日階段を上り下りしているにも関わらず、その日に限っては「13階段」(自宅の階段はもっと段がたくさんだし、滑り台は足りないと思う)とか「首を括りたい」などと浮かぶのはなにか自責の念というのに求められそうだけど、しかし「首を括りたい」のうちの《たい》は迫られた人間のそれではなくて、明らかに自由人のそれである。
ただし、うろ覚えからの記憶違いかもしれない。
とりあえず話を戻すと、滑り台で遊んだ後は寄り道もせずに帰宅した。だから弁財天も流山線も閑静な住宅街の生活道路も遅れて裏から継ぎ接ぎをしたのだが、動機は後に説明をするとしてこれは差し当たって「思索」の成果だろう。
その限り「浮かんだ」とか「それ」とか……という現象は「詩作」の結果だ。
「思索」と「詩作」。これは手前味噌な表現というのではなく、確かハイデカーのニーチェ論の一説で見た覚えがある。(あんまり哲学は好きじゃありませんが……もちろん『人間は先天的に哲学者であーる』といった理屈を抜きにすればですが)
で「思索」というのは、一般にまさに「哲学」と認知されたものの動的な表現なのであって、つまり思考しつつ行動するのである。かてて加えれば、或る対象を捉えた後に描写するという、なんとも当たり前な事なのだ。(その限りでは、やはり人間は先天的に哲学者なわけだ…うんざりするな、この感じ)
ところが、「詩作」を対峙させるとそんなに退屈な話題ではないと思えるようになった。
「詩作」というのは、詩人がそのように、動きながら考えるの静的な謂いなのだが、ところで「思考」というのは「行動」を顧視する「客観的」な立場であり(これは『思索』)、「詩作」にあっては「行動」が「思考」を誘導する「主観的」な立場と互いに掣肘(せいちゅう)し拮抗する。
そして作家が「思索」や「詩作」という、さかしまに見た際には成果や現象を、道具としてその仕事や手遊びに供する時、この限りでは、「思索」は決して対象を「客観的」に捉えて漉して描写する謂いではなくて、つまり作家は(この作家というのを「詩人」としないのは、「今は」ややこしいことになるからである)「物事を考えてから行動する」思索という現象を「対象を即物的(対象物・対象人物の気持ちや立場になって)に捉え描写をする」といった道具・技術に置き換え仕事に取り掛かるのだが、まずもって対象を捉える段階にあっては主観は客観に優位であり、描写をするという行動は主観即ち「詩作的」立場は「思考」に誘導されている。
またそうであれば、「思索」とは対象を「主観的」に捉えて「客観的」に描写をするということになるが、更に置き換えてみると、「思索」とは対象を「詩作的」な立場で捉えて「客観的」に描写をする。更には「思索」とは対象を「行動が思考を誘導する」といった風に描写をする、即ち思索とは「描写(行動)」が「対象の把捉(思考)」に先行するという性格を持った「詩作」そのもの……「詩人」にあってはそもそもが然もありなんである。
大きな喧嘩をした後だった。
娘を連れて散歩に出た。が、自宅からすぐの角を曲がると真っ白になった。
春一番が抜けた町は、砂塵で悉皆(しっかい)陽気な日を浴びた秘密の浦曲(うらみ)のように眩しく、とびとびに干潮(ひきしお)の波打ち際よろしく半端な足跡が標(しる)されていた。
其処にOーちゃんが元気に走って行って自分の小さな足の裏を合わせてはまた追っかけるという風なので、モーセが杖に従ったように扈従(こしょう)した。
支所の裏手側に弁財天を頂いた一間社があった。
其処の白御影(しろみかげ)の鳥居をば、Oーちゃんは何遍もあかずにくぐるので、ひとりそぞろに向拝まで昇った。
鈴緒は振らない。が、かわって乱暴な音がした。
社の裏にはすぐフェンスが控えていて、越えたところに支所の勝手口がある。不思議に恐い気もせず首入道にしてのっそり覗くと、黒い外套が情事の後の二人の抜け殻みたいにぐったりしていただけ。
他にはない。
それから白樺が似合いそうな間道に出た。向かって左側がなんでもない宅地に画され、もう一方は変わって吹き曝しで、ふたりがもうすぐ出る目抜きの殷賑(いんしん)なのが音無しに分かった。セイタカアワダチソウが茶色なのに日を浴び過ぎている。
しばらくして目抜きにぶつかりまた右に折れる。このまま道なりに行くと、支所の表玄関が通りに面した方まで戻るのだが、道路を一本渡ってただちに左へ折れた。
駅が正面にある。流山線に決めて下りの平和台までの切符を買う。
三両編成が閑々と動き出す。閑(ひま)なく警笛が鳴る。ポールも信号もない踏切をとおるのに必要なのだ。と、定時制の学生時分に世田谷の通信制高校と組んで野球をしたのだが、負け試合になった帰り道の事を思い出した。
その日、東横線の車窓から全裸の女が胸だけ隠して困りきったように立っていたのが見えた。それは昼下がりの踏切だった。一寸笑っていたようにも見えたので、すぐにそういう撮影なんだと踏んで、俺は仲間に知らせるように女を指呼しつつカラカラ洪笑(わら)った。
それからホームヘルパーで口を糊していた頃に、同じ流山線で自閉症の男児と一緒にやはり平和台まで“散歩介助”というので行ったことがあるのを思い出した。その子とは他に町屋から早稲田まで都電で往復したのが一再ならずあったが、そこまで鮮やかになると記憶の古今や遠近が“さかしま”で自分でも変な気がした。
今日の私がどうとか考えが及するのも嫌であった。
小金城趾でしばし停車する。全体に単線なので此処で上下合流するのだ。が、いよいよ笛が鳴るぞという時に一番ホーム上り電車へ駆け込んだ。
もと来た駅に戻ると、行きの道とは違う椰子の木が棕櫚(しゅろ)と呼ばれてそうな閑静な住宅街を抜けて自家に帰ることにした。この辺りは隣家に軒が接する様には画されて居らず、どこも手狭なところに駐車スペースと丈の低いコンクリート塀が打たれて劃された植栽用のコーナーがぐるりをめぐり、唐破風の次に陸屋根という具合に凹凸が 向こう三軒に渡るので、馥郁(ふくいく)たる夕餉の支度の煙りが合流することなく瀰漫(びまん)しているのが、常とは違い鼻にも目にも五月蝿く感じた。
にわかに便りもなく、まだ流山線で走っているような気もした。二度寝の代償にも似た不安があった。
いつかT公園の脇に出ていた。東側に遊具や砂場があって、西側は石の礫(つぶて)が敷かれて広く構えた更地で、全体が桜の木に抱かれ二面に別れている。
其処にOーちゃんが入った。
他に人はいない。
まだ開かない桜の下枝(しずえ)が、砂場まで伸びてきて裸のまま弛まず動かずにいるのが風のはじまりの口のようだ。寒かった。
遊具と砂場を割って小丘があった。草の髭が伸びた斜面(なぞえ)の上を砂の帚目に似た稜線が薄く守られたままでいた。
滑り台の待ち時間がない。一緒に昇る。鼻の先には小便で重いオムツが匂わずにあった。
一段上に片足を掛けてから手すりの細い桟(さん)を身体の真横で握るので目が離せない。が、昇っているうちに“13階段”と浮かんだ。続けて“滑る速度で首を括れればいい”と浮かんだ。
今朝起きるとすぐ妻(さい)と喧嘩をした。夫が働かずにいる家のよくある喧嘩だった。やがてこれからどちらが先に家を出るかということに話頭が転じた。先に彼女が家を出た。良心の声掛け。だから“首を括りたい”なんて本当ではない。
意識の閾(しきい)の上と下が目蓋の裏(うち)から澎湃(ほうはい)して、オディロン・ルドンの“目玉の気球”が浮かんだ。空には爪の上皮(あまかわ)に似た月がやっとあった。すぐに書割りにありそうな暈(かさ)のない輪郭のはっきりした桟敷で観る月に変わり、フィルムの焦げ付き方で影がクレーターの凹地(くぼち)を浸食し、だんだんとエコー映像中の胎児になって、それから仏がたくさんな曼陀羅図絵になった。中心が此処彼処にあって目眩がした。重力を求める前に感じた。と、“目玉の気球”は地上に繋留されアド・バルーンになった。鼻の下が垂れ幕のように伸びきったところに風を孕んで自我が翩翻(へんぽん)とした。桜になりたいと思う前に満開の桜になっていた。
黄色の蕊(しべ)の数だけ目を持った。何を見るべきかに迷った。が、風が起きると首が振られブランコが見えた。
“其処”にOーちゃんと一緒に揺れて僕がいた。僕は怖いと思った。今、風は凪で木は裸で夢は夢で俺でもなく私でもない「僕は」怖いと思った。
夕間暮(ゆうまぐれ)。
T公園から出た。自家はすぐ鼻の先にある。身空の影の一番はっきりする時間ということもあって、ふたりでいるより賑やかに感じる。高架線にカラスが番い(つがい)になっている。看板に灯りが付く。人が固まって動く。よく見ると影はもういない。
『・・・めぐりにめぐりて行き風復(また)そのめぐる處にかへる』が、はと胸の裏(うち)に「僕の」寒いのが残った。
娘を連れて散歩に出た。が、自宅からすぐの角を曲がると真っ白になった。
春一番が抜けた町は、砂塵で悉皆(しっかい)陽気な日を浴びた秘密の浦曲(うらみ)のように眩しく、とびとびに干潮(ひきしお)の波打ち際よろしく半端な足跡が標(しる)されていた。
其処にOーちゃんが元気に走って行って自分の小さな足の裏を合わせてはまた追っかけるという風なので、モーセが杖に従ったように扈従(こしょう)した。
支所の裏手側に弁財天を頂いた一間社があった。
其処の白御影(しろみかげ)の鳥居をば、Oーちゃんは何遍もあかずにくぐるので、ひとりそぞろに向拝まで昇った。
鈴緒は振らない。が、かわって乱暴な音がした。
社の裏にはすぐフェンスが控えていて、越えたところに支所の勝手口がある。不思議に恐い気もせず首入道にしてのっそり覗くと、黒い外套が情事の後の二人の抜け殻みたいにぐったりしていただけ。
他にはない。
それから白樺が似合いそうな間道に出た。向かって左側がなんでもない宅地に画され、もう一方は変わって吹き曝しで、ふたりがもうすぐ出る目抜きの殷賑(いんしん)なのが音無しに分かった。セイタカアワダチソウが茶色なのに日を浴び過ぎている。
しばらくして目抜きにぶつかりまた右に折れる。このまま道なりに行くと、支所の表玄関が通りに面した方まで戻るのだが、道路を一本渡ってただちに左へ折れた。
駅が正面にある。流山線に決めて下りの平和台までの切符を買う。
三両編成が閑々と動き出す。閑(ひま)なく警笛が鳴る。ポールも信号もない踏切をとおるのに必要なのだ。と、定時制の学生時分に世田谷の通信制高校と組んで野球をしたのだが、負け試合になった帰り道の事を思い出した。
その日、東横線の車窓から全裸の女が胸だけ隠して困りきったように立っていたのが見えた。それは昼下がりの踏切だった。一寸笑っていたようにも見えたので、すぐにそういう撮影なんだと踏んで、俺は仲間に知らせるように女を指呼しつつカラカラ洪笑(わら)った。
それからホームヘルパーで口を糊していた頃に、同じ流山線で自閉症の男児と一緒にやはり平和台まで“散歩介助”というので行ったことがあるのを思い出した。その子とは他に町屋から早稲田まで都電で往復したのが一再ならずあったが、そこまで鮮やかになると記憶の古今や遠近が“さかしま”で自分でも変な気がした。
今日の私がどうとか考えが及するのも嫌であった。
小金城趾でしばし停車する。全体に単線なので此処で上下合流するのだ。が、いよいよ笛が鳴るぞという時に一番ホーム上り電車へ駆け込んだ。
もと来た駅に戻ると、行きの道とは違う椰子の木が棕櫚(しゅろ)と呼ばれてそうな閑静な住宅街を抜けて自家に帰ることにした。この辺りは隣家に軒が接する様には画されて居らず、どこも手狭なところに駐車スペースと丈の低いコンクリート塀が打たれて劃された植栽用のコーナーがぐるりをめぐり、唐破風の次に陸屋根という具合に凹凸が 向こう三軒に渡るので、馥郁(ふくいく)たる夕餉の支度の煙りが合流することなく瀰漫(びまん)しているのが、常とは違い鼻にも目にも五月蝿く感じた。
にわかに便りもなく、まだ流山線で走っているような気もした。二度寝の代償にも似た不安があった。
いつかT公園の脇に出ていた。東側に遊具や砂場があって、西側は石の礫(つぶて)が敷かれて広く構えた更地で、全体が桜の木に抱かれ二面に別れている。
其処にOーちゃんが入った。
他に人はいない。
まだ開かない桜の下枝(しずえ)が、砂場まで伸びてきて裸のまま弛まず動かずにいるのが風のはじまりの口のようだ。寒かった。
遊具と砂場を割って小丘があった。草の髭が伸びた斜面(なぞえ)の上を砂の帚目に似た稜線が薄く守られたままでいた。
滑り台の待ち時間がない。一緒に昇る。鼻の先には小便で重いオムツが匂わずにあった。
一段上に片足を掛けてから手すりの細い桟(さん)を身体の真横で握るので目が離せない。が、昇っているうちに“13階段”と浮かんだ。続けて“滑る速度で首を括れればいい”と浮かんだ。
今朝起きるとすぐ妻(さい)と喧嘩をした。夫が働かずにいる家のよくある喧嘩だった。やがてこれからどちらが先に家を出るかということに話頭が転じた。先に彼女が家を出た。良心の声掛け。だから“首を括りたい”なんて本当ではない。
意識の閾(しきい)の上と下が目蓋の裏(うち)から澎湃(ほうはい)して、オディロン・ルドンの“目玉の気球”が浮かんだ。空には爪の上皮(あまかわ)に似た月がやっとあった。すぐに書割りにありそうな暈(かさ)のない輪郭のはっきりした桟敷で観る月に変わり、フィルムの焦げ付き方で影がクレーターの凹地(くぼち)を浸食し、だんだんとエコー映像中の胎児になって、それから仏がたくさんな曼陀羅図絵になった。中心が此処彼処にあって目眩がした。重力を求める前に感じた。と、“目玉の気球”は地上に繋留されアド・バルーンになった。鼻の下が垂れ幕のように伸びきったところに風を孕んで自我が翩翻(へんぽん)とした。桜になりたいと思う前に満開の桜になっていた。
黄色の蕊(しべ)の数だけ目を持った。何を見るべきかに迷った。が、風が起きると首が振られブランコが見えた。
“其処”にOーちゃんと一緒に揺れて僕がいた。僕は怖いと思った。今、風は凪で木は裸で夢は夢で俺でもなく私でもない「僕は」怖いと思った。
夕間暮(ゆうまぐれ)。
T公園から出た。自家はすぐ鼻の先にある。身空の影の一番はっきりする時間ということもあって、ふたりでいるより賑やかに感じる。高架線にカラスが番い(つがい)になっている。看板に灯りが付く。人が固まって動く。よく見ると影はもういない。
『・・・めぐりにめぐりて行き風復(また)そのめぐる處にかへる』が、はと胸の裏(うち)に「僕の」寒いのが残った。
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