大きな喧嘩をした後だった。
娘を連れて散歩に出た。が、自宅からすぐの角を曲がると真っ白になった。
春一番が抜けた町は、砂塵で悉皆(しっかい)陽気な日を浴びた秘密の浦曲(うらみ)のように眩しく、とびとびに干潮(ひきしお)の波打ち際よろしく半端な足跡が標(しる)されていた。
其処にOーちゃんが元気に走って行って自分の小さな足の裏を合わせてはまた追っかけるという風なので、モーセが杖に従ったように扈従(こしょう)した。
支所の裏手側に弁財天を頂いた一間社があった。
其処の白御影(しろみかげ)の鳥居をば、Oーちゃんは何遍もあかずにくぐるので、ひとりそぞろに向拝まで昇った。
鈴緒は振らない。が、かわって乱暴な音がした。
社の裏にはすぐフェンスが控えていて、越えたところに支所の勝手口がある。不思議に恐い気もせず首入道にしてのっそり覗くと、黒い外套が情事の後の二人の抜け殻みたいにぐったりしていただけ。
他にはない。
それから白樺が似合いそうな間道に出た。向かって左側がなんでもない宅地に画され、もう一方は変わって吹き曝しで、ふたりがもうすぐ出る目抜きの殷賑(いんしん)なのが音無しに分かった。セイタカアワダチソウが茶色なのに日を浴び過ぎている。
しばらくして目抜きにぶつかりまた右に折れる。このまま道なりに行くと、支所の表玄関が通りに面した方まで戻るのだが、道路を一本渡ってただちに左へ折れた。
駅が正面にある。流山線に決めて下りの平和台までの切符を買う。
三両編成が閑々と動き出す。閑(ひま)なく警笛が鳴る。ポールも信号もない踏切をとおるのに必要なのだ。と、定時制の学生時分に世田谷の通信制高校と組んで野球をしたのだが、負け試合になった帰り道の事を思い出した。
その日、東横線の車窓から全裸の女が胸だけ隠して困りきったように立っていたのが見えた。それは昼下がりの踏切だった。一寸笑っていたようにも見えたので、すぐにそういう撮影なんだと踏んで、俺は仲間に知らせるように女を指呼しつつカラカラ洪笑(わら)った。
それからホームヘルパーで口を糊していた頃に、同じ流山線で自閉症の男児と一緒にやはり平和台まで“散歩介助”というので行ったことがあるのを思い出した。その子とは他に町屋から早稲田まで都電で往復したのが一再ならずあったが、そこまで鮮やかになると記憶の古今や遠近が“さかしま”で自分でも変な気がした。
今日の私がどうとか考えが及するのも嫌であった。
小金城趾でしばし停車する。全体に単線なので此処で上下合流するのだ。が、いよいよ笛が鳴るぞという時に一番ホーム上り電車へ駆け込んだ。
もと来た駅に戻ると、行きの道とは違う椰子の木が棕櫚(しゅろ)と呼ばれてそうな閑静な住宅街を抜けて自家に帰ることにした。この辺りは隣家に軒が接する様には画されて居らず、どこも手狭なところに駐車スペースと丈の低いコンクリート塀が打たれて劃された植栽用のコーナーがぐるりをめぐり、唐破風の次に陸屋根という具合に凹凸が 向こう三軒に渡るので、馥郁(ふくいく)たる夕餉の支度の煙りが合流することなく瀰漫(びまん)しているのが、常とは違い鼻にも目にも五月蝿く感じた。
にわかに便りもなく、まだ流山線で走っているような気もした。二度寝の代償にも似た不安があった。
いつかT公園の脇に出ていた。東側に遊具や砂場があって、西側は石の礫(つぶて)が敷かれて広く構えた更地で、全体が桜の木に抱かれ二面に別れている。
其処にOーちゃんが入った。
他に人はいない。
まだ開かない桜の下枝(しずえ)が、砂場まで伸びてきて裸のまま弛まず動かずにいるのが風のはじまりの口のようだ。寒かった。
遊具と砂場を割って小丘があった。草の髭が伸びた斜面(なぞえ)の上を砂の帚目に似た稜線が薄く守られたままでいた。
滑り台の待ち時間がない。一緒に昇る。鼻の先には小便で重いオムツが匂わずにあった。
一段上に片足を掛けてから手すりの細い桟(さん)を身体の真横で握るので目が離せない。が、昇っているうちに“13階段”と浮かんだ。続けて“滑る速度で首を括れればいい”と浮かんだ。
今朝起きるとすぐ妻(さい)と喧嘩をした。夫が働かずにいる家のよくある喧嘩だった。やがてこれからどちらが先に家を出るかということに話頭が転じた。先に彼女が家を出た。良心の声掛け。だから“首を括りたい”なんて本当ではない。
意識の閾(しきい)の上と下が目蓋の裏(うち)から澎湃(ほうはい)して、オディロン・ルドンの“目玉の気球”が浮かんだ。空には爪の上皮(あまかわ)に似た月がやっとあった。すぐに書割りにありそうな暈(かさ)のない輪郭のはっきりした桟敷で観る月に変わり、フィルムの焦げ付き方で影がクレーターの凹地(くぼち)を浸食し、だんだんとエコー映像中の胎児になって、それから仏がたくさんな曼陀羅図絵になった。中心が此処彼処にあって目眩がした。重力を求める前に感じた。と、“目玉の気球”は地上に繋留されアド・バルーンになった。鼻の下が垂れ幕のように伸びきったところに風を孕んで自我が翩翻(へんぽん)とした。桜になりたいと思う前に満開の桜になっていた。
黄色の蕊(しべ)の数だけ目を持った。何を見るべきかに迷った。が、風が起きると首が振られブランコが見えた。
“其処”にOーちゃんと一緒に揺れて僕がいた。僕は怖いと思った。今、風は凪で木は裸で夢は夢で俺でもなく私でもない「僕は」怖いと思った。
夕間暮(ゆうまぐれ)。
T公園から出た。自家はすぐ鼻の先にある。身空の影の一番はっきりする時間ということもあって、ふたりでいるより賑やかに感じる。高架線にカラスが番い(つがい)になっている。看板に灯りが付く。人が固まって動く。よく見ると影はもういない。
『・・・めぐりにめぐりて行き風復(また)そのめぐる處にかへる』が、はと胸の裏(うち)に「僕の」寒いのが残った。
娘を連れて散歩に出た。が、自宅からすぐの角を曲がると真っ白になった。
春一番が抜けた町は、砂塵で悉皆(しっかい)陽気な日を浴びた秘密の浦曲(うらみ)のように眩しく、とびとびに干潮(ひきしお)の波打ち際よろしく半端な足跡が標(しる)されていた。
其処にOーちゃんが元気に走って行って自分の小さな足の裏を合わせてはまた追っかけるという風なので、モーセが杖に従ったように扈従(こしょう)した。
支所の裏手側に弁財天を頂いた一間社があった。
其処の白御影(しろみかげ)の鳥居をば、Oーちゃんは何遍もあかずにくぐるので、ひとりそぞろに向拝まで昇った。
鈴緒は振らない。が、かわって乱暴な音がした。
社の裏にはすぐフェンスが控えていて、越えたところに支所の勝手口がある。不思議に恐い気もせず首入道にしてのっそり覗くと、黒い外套が情事の後の二人の抜け殻みたいにぐったりしていただけ。
他にはない。
それから白樺が似合いそうな間道に出た。向かって左側がなんでもない宅地に画され、もう一方は変わって吹き曝しで、ふたりがもうすぐ出る目抜きの殷賑(いんしん)なのが音無しに分かった。セイタカアワダチソウが茶色なのに日を浴び過ぎている。
しばらくして目抜きにぶつかりまた右に折れる。このまま道なりに行くと、支所の表玄関が通りに面した方まで戻るのだが、道路を一本渡ってただちに左へ折れた。
駅が正面にある。流山線に決めて下りの平和台までの切符を買う。
三両編成が閑々と動き出す。閑(ひま)なく警笛が鳴る。ポールも信号もない踏切をとおるのに必要なのだ。と、定時制の学生時分に世田谷の通信制高校と組んで野球をしたのだが、負け試合になった帰り道の事を思い出した。
その日、東横線の車窓から全裸の女が胸だけ隠して困りきったように立っていたのが見えた。それは昼下がりの踏切だった。一寸笑っていたようにも見えたので、すぐにそういう撮影なんだと踏んで、俺は仲間に知らせるように女を指呼しつつカラカラ洪笑(わら)った。
それからホームヘルパーで口を糊していた頃に、同じ流山線で自閉症の男児と一緒にやはり平和台まで“散歩介助”というので行ったことがあるのを思い出した。その子とは他に町屋から早稲田まで都電で往復したのが一再ならずあったが、そこまで鮮やかになると記憶の古今や遠近が“さかしま”で自分でも変な気がした。
今日の私がどうとか考えが及するのも嫌であった。
小金城趾でしばし停車する。全体に単線なので此処で上下合流するのだ。が、いよいよ笛が鳴るぞという時に一番ホーム上り電車へ駆け込んだ。
もと来た駅に戻ると、行きの道とは違う椰子の木が棕櫚(しゅろ)と呼ばれてそうな閑静な住宅街を抜けて自家に帰ることにした。この辺りは隣家に軒が接する様には画されて居らず、どこも手狭なところに駐車スペースと丈の低いコンクリート塀が打たれて劃された植栽用のコーナーがぐるりをめぐり、唐破風の次に陸屋根という具合に凹凸が 向こう三軒に渡るので、馥郁(ふくいく)たる夕餉の支度の煙りが合流することなく瀰漫(びまん)しているのが、常とは違い鼻にも目にも五月蝿く感じた。
にわかに便りもなく、まだ流山線で走っているような気もした。二度寝の代償にも似た不安があった。
いつかT公園の脇に出ていた。東側に遊具や砂場があって、西側は石の礫(つぶて)が敷かれて広く構えた更地で、全体が桜の木に抱かれ二面に別れている。
其処にOーちゃんが入った。
他に人はいない。
まだ開かない桜の下枝(しずえ)が、砂場まで伸びてきて裸のまま弛まず動かずにいるのが風のはじまりの口のようだ。寒かった。
遊具と砂場を割って小丘があった。草の髭が伸びた斜面(なぞえ)の上を砂の帚目に似た稜線が薄く守られたままでいた。
滑り台の待ち時間がない。一緒に昇る。鼻の先には小便で重いオムツが匂わずにあった。
一段上に片足を掛けてから手すりの細い桟(さん)を身体の真横で握るので目が離せない。が、昇っているうちに“13階段”と浮かんだ。続けて“滑る速度で首を括れればいい”と浮かんだ。
今朝起きるとすぐ妻(さい)と喧嘩をした。夫が働かずにいる家のよくある喧嘩だった。やがてこれからどちらが先に家を出るかということに話頭が転じた。先に彼女が家を出た。良心の声掛け。だから“首を括りたい”なんて本当ではない。
意識の閾(しきい)の上と下が目蓋の裏(うち)から澎湃(ほうはい)して、オディロン・ルドンの“目玉の気球”が浮かんだ。空には爪の上皮(あまかわ)に似た月がやっとあった。すぐに書割りにありそうな暈(かさ)のない輪郭のはっきりした桟敷で観る月に変わり、フィルムの焦げ付き方で影がクレーターの凹地(くぼち)を浸食し、だんだんとエコー映像中の胎児になって、それから仏がたくさんな曼陀羅図絵になった。中心が此処彼処にあって目眩がした。重力を求める前に感じた。と、“目玉の気球”は地上に繋留されアド・バルーンになった。鼻の下が垂れ幕のように伸びきったところに風を孕んで自我が翩翻(へんぽん)とした。桜になりたいと思う前に満開の桜になっていた。
黄色の蕊(しべ)の数だけ目を持った。何を見るべきかに迷った。が、風が起きると首が振られブランコが見えた。
“其処”にOーちゃんと一緒に揺れて僕がいた。僕は怖いと思った。今、風は凪で木は裸で夢は夢で俺でもなく私でもない「僕は」怖いと思った。
夕間暮(ゆうまぐれ)。
T公園から出た。自家はすぐ鼻の先にある。身空の影の一番はっきりする時間ということもあって、ふたりでいるより賑やかに感じる。高架線にカラスが番い(つがい)になっている。看板に灯りが付く。人が固まって動く。よく見ると影はもういない。
『・・・めぐりにめぐりて行き風復(また)そのめぐる處にかへる』が、はと胸の裏(うち)に「僕の」寒いのが残った。
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